Funny Game U.S.A:ファニーゲーム U.S.A.


禁じられた遊び




映画史上、最悪の映画


ある批評家が「監督が観客に向かって暴力を振るっている作品」とこの作品を評した
…まさに言い得て妙である


この物語に救いなんてものは一切ない、脇目も振らずにひたすらバッドエンドへ突き進む
観客を嫌がらせるためだけに髄を尽くした悪意と嫌悪感に満ち満ちている
娯楽の娯の字も存在しない、観客は物語が終わりを告げるまで徹底的な嫌がらせを受ける
スクリーンの中のナオミ・ワッツ同様に理不尽以外の何者でない


この作品は1997年の「Funny Games」のセルフ・リメイク
舞台をアメリカにしてキャストを変えた以外は、カット割りから台詞まで全て原作からは変更がない
しかし、なんでまたそんなものを作ったというのか―?


もちろん、この作品が単なるミヒャエル・ハネケの悪ふざけで作られた訳がない
ミヒャエル・ハネケが映し出したのは「暴力の本質」である
暴力をエンターテイメントとして映し出すハリウッド映画とそれを見ている観客への
痛烈で非常に底意地の悪いアンチテーゼなのである


この苦痛の2時間弱を耐え切った者は観客は暴力の本質を知る事となる
人は映画を見て現実から逃避し虚構の世界へのめり込む
しかしながら、ミヒャエル・ハケネはそんな観客を無理やりでも現実へ引き戻す


ほら!お前たちが観ているのは本当はこういうものなんだ!
どうだ?お前はこんなものをポップコーン片手に眺めているんだよ!
「sawシリーズ」の後期の作品を騒いでいる人は一度観て目を覚ますのもいいのかも


監督の真意を知ろうとしない限り、この映画の価値を知る事など出来ない
劇中に何度かポールが目を合わせて観客へ語りかけるシーンがある
それこそ、この映画の真なるメッセージなのだ


そして、たった一つだけ実際に写されている残酷描写
それが何なのかを考えた時に監督の悪意に満ちた皮肉を読み取ることが出来る
なんともひねくれたミヒャエル・ハネケらしい痛烈なメッセージだ


だからこそ、この映画史に残る最悪の映画は、素晴らしいのである
とはいえ、「Funny Games」と「Funny Games U.S.A.」の両方を立て続けに観ている自分は、
なんてドM体質なんだろうとつくづく思った―






■メモ

監督のインタビューより…


「私はあらかじめ自分の映画の見方について語ることはしたくありません。
なぜなら、そうすると観客は自分で考える必要がなくなってしまうからです。
私が提示する事柄に対して、観客自身が挑発されていると感じてほしいのです」


「映画は気晴らしのための娯楽だと定義するならば、私の映画は無意味です。
私の映画は気晴らしも娯楽も与えませんから。もし娯楽映画として観るなら、後味の悪さを残すだけです」


「私の映画を嫌う人々は、なぜ嫌うのかを自問しなければなりません。
嫌うのは、痛いところを衝かれているからではないでしょうか。
痛いところを衝かれたくない、面と向き合いたくないというのが理由ではないでしょうか。
面と向き合いたくないものと向き合わされるのはいいことだと私は思います」


なるほど。なんてひねくれている監督だ。