告白


告白が、あなたの命につきささる。




なぁんてね。


ある中学校の終業式の日
中学一年生最後のホームルームは、背筋も凍る戦慄のホームルームだった。
たった一人の娘を殺された女教師による最後の告白は「復讐」という名の命の授業から始まった


映画全体に不穏な空気と緊迫感が支配し、その中で色彩豊かで独創的な中島哲也の世界観が広がる
以前、シネマハスラーにて宇多丸氏がこの中島監督の作風はシリアスな空気の方が栄えるのではないかと言った
まさにその通り、このほの暗くドライな物語が素晴らしくマッチしていた
そして、そこに女優の演技力が絶妙に絡み合う
松たか子木村佳乃の演技力の底深さを思い知る事となった


偽善や欺瞞を豪快にぶち壊し、残るのは忌わしき人間の闇だけ
教育者であり子煩悩な母親から復讐者という鬼畜へと姿を変えた、松たか子の咆哮は見るもの全ての心に響き渡った
この物語に救いのある答えなど存在しなかった
救いなんてものは「なあんてね」の一言で吹き飛んでしまった


登場人物全てが全く救われていないというこの終わり方は正解だと思う
あくまで「復讐」という一点に絞った事で、物語の根幹がブレなかった
そう、「復讐」の果てには、何も存在しない


物語の上澄みだけで理解出来る作品ではないので、劇薬を心して味わうつもりで観るべし
あり得ない程に真っ暗な闇を抱えた登場人物の告白を心して聞け!
そして自らに問いかけろ、正義とは何なのかを!




長くなりそうなので、告白評をもう少し。
あくまでの個人的な感想を。


まず、最後の松たか子の「なあんてね」をどう見るか。
自分はその前の「あなたの更生の第一歩だとは思いませんか?」という台詞にかかってると感じた。
ここまでやっておいて教育者ぶる姿を、善人ぶって爆発させようとした少年を皮肉ったと思う。


あくまで彼女の「復讐」を描いた作品であり、何か答えのようなメッセージはなく、
コレを観てどう感じるか、個人個人が導きだす答えこそに、監督のメッセージを込めたと思う。
原作と違うラストが賛否、特に否を呼んでいる気がするのだが、この終わり方は個人的には正解。
そもそも原作を読んだ事ないのだが、文と映像では表現も違う事を念頭に入れなくてはならない。


「説明されてない」などの批判を呼んでいたが、映画と言うものは、
逆に説明していけない、伝えたい事は台詞にしてはいけないのだ。
説明臭い映画など誰の心にも残らない、含みを与え観る個人に委ねるからこそ、心に残る。
あのスローモーションでCGドカーンみたいなのはクドかったかな。


そして、もう一つ評価出来るのは、重複するがあくまで彼女の「復讐」を描いた作品である事。
例えば、この作品ではいじめや学級崩壊、無能な教師などは投げっぱなしのままである。
ここでその問題まで描く事は、あの上映時間では到底無理である。
だからこその投げっぱなしなのだが、得てしてその表現が観る者に嫌悪感だけを残し、
逆に効果的なメッセージとして成立したのではないかと思う。


いじめや少年少女の無邪気な暴力というものは、他人から強制された反省では更正なんか絶対あり得ない。
極論ではあるが、逆にいじめられたり、自ら気付いたとき、初めて理解しうるのである。
だからこそ、この作品はR-15ではいけないと思った。中学生にこそ魅せるべきだ。
「気付き」の促しこそ、物語の中で描かれる嫌悪感が効果的であり、自分もそうだった。
本では想像力の乏しい少年少女には、映像こそが一番分かりやすい教材なのだ。
もちろん、答えを強制せず、個々に答えを考えさせる有能な指導者同伴という条件付きだが。


逆にある一定の凝り固まった大人が観ると勘違いを引き起こしやすい。
「子供は恐ろしい」という先入観が邪魔をする。
自分も今の教育現場を知らないが、ここまで崩壊している例は数少ないだろう、絶対。
この映画で伝えたいのはそういう事ではない。


あと、やはりヒロインのあのルナシーの子が呆気無い。
少年唯一の理解者であるあの少女はもっと効果的に使っても良かったのではないか。
なんかあの殺人シーンは淡々とし過ぎて必要だったのか疑問だ。
彼女の死も合わせてラストのカタルシスに持っていっても良かったのだと思う。
彼の本当に唯一の理解者は彼女だけであった訳だし。


ちなみにルナシー事件は実在の事件のモチーフ。
静岡の女子高生が母親に酢酸タリウムを盛ってそれを観察した事件。
まとめ的サイトはこれ→glmugnshu - グルムグンシュ -
と長々と語った訳だが、自分を個々までさせたのは、この作品が邦画であり、こ
こまで宣伝効果も効果覿面だからこそ、語りたかったというのもある。


とは言え、この作品は個人的にはアウトレイジとともに今年観た方がのベスト。
否、今まで観た邦画の中でも上位につける作品である事は間違いない。