読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Silence:沈黙 -サイレンス-

2017 Movie ★★★★★

f:id:mktone:20170130232745j:plain
神は沈黙しているのか
それとも、我々が聞こえないだけなのか



人は「真理」を求めている。
なぜ我々がこの世界に生まれて、この世界に生きるのかー。
その意味を求めて、人々は神に教えを請いている。


しかしながら、
どんなに苦しく険しい道を辿ろうとも、どれだけその身を捧げようとも、
神は何も語ってはくれない。


いや、もしかすると、我々が聞こえていないだけなのかもしれない。
その声なき声を求めて、人々は血を流し涙を流しながら、必死でその沈黙に耳を傾ける
けれども、どれだけ耳を済まそうとも、その声を誰一人として聞くことはできない。


隠れ切支丹を弾圧し続けた地獄のような長崎で、
救済を求める人々へ神の御言葉を届けるために、
ポルトガルから海を渡ってやってきた宣教師たち。


しかしながら、彼らを救うためのはずだった教えは、
広めれば広めるほど、単に苦しみを撒き散らすだけだった。
どれだけ純粋で素朴に神を信仰しようとも、
結局、彼らに訪れたのは無残な死だけだった。


それでも神はただただ沈黙を貫き通している。
そんな身勝手な神の存在を疑いを覚えつつも、
それでも頑なに信じる事で生まれる迷いと苦悩。
その果てに、彼が選択した一つの答えは-。


「棄教」するということとはどういう事なのか。
己の命を懸けて日本へ渡り、そこで背信する事になる宣教師たち
彼らは己の信仰の弱さに負けただけの恥ずべき人間だと一概に言い切れるのだろうか―。


長崎の壮絶な弾圧の歴史ともに沈黙という名の灰の中に消えかけていた、
布教に生涯を掛けた末にキリスト教を背信する事となった宣教師たちの悲しき生き様。
そこでは信じる事は死を強要する事であり、信じ続ける事は信者を殺す事だった。


自らの信念を無理矢理変えさせようとする卑劣さを目の当たりにして、
その悲惨さと惨さに怒りを覚えつつ、「なぜキリスト教を弾圧せざるを得なかったのか?」という歴史的な事実を考えると、
同胞を弾圧し続けたイッセー尾形の言葉が重くのしかかる。


「宗教」とはいったい何なのか―。
主の言葉を守る事なのか、それとも主の言葉を実践する事なのか。
そして、それらを信じ続ける事で人は宗教から何をもたらされたのだろうか。


沈黙の中に「真理」を見出すことは不可能。
なぜなら「真理」とは自らが見出さなくてはならないからだ。
何度も「転ぶ」キイチローが象徴するのはまさにここではないのだろうか。


そんな絶望的で壮絶な物語ではあるものの、
最期に迎えるある展開において彼らが【アレ】を持っていた事で、
その愛は粛々と実践され続けていた事を知り、
スコセッシのカトリックへの愛のあるまなざしを知る。